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2021/4/18 熊本地震5年特別礼拝 「神が働かれる場所」 横田法路師

聖書 Ⅰヨハネ4:7~12   中心 Ⅰヨハネ4:12

痛みからうみだされたもの=つながり

 2016年熊本地震から二日後、教会に全国から50名程の先生方が集まりました。熊本から中村陽志先生が疲れ切った様子で来られました。現地の報告のためにマイクをお渡ししましたが、しばらく言葉が出ませんでした。涙が流れ、最初に出た言葉は「なんで涙が出るんだろう」でした。その後にこう言われました。「わずか数十秒でこんなに多くの人の人生が変わってしまうなんて」。災害は人生に大きな影響を及ぼします。痛みの中から、神様は新しいものを生み出してくださいました。「つながり」です。

1.教会と地域がつながる

震災を通して、教会は地域の中に出て行くように変わりました。倒れている人たちがいる時、見て見ぬふりをすることはできないからです。「よきサマリア人」のたとえでは、祭司もレビ人も見て見ぬふりをして通り過ぎました。サマリア人は民族的、歴史的な壁があったにも関わらず、倒れている人を見て、駆け寄って助けました。イエス様は「あなたも行って同じようにしなさい」と言われました。私たちは見て見ぬふりをしてはいけないのです。「見た」ということはそこに意味があるのです。

2.教会と教会がつながる
 手や足というような違いはありますが、キリストの体は一つです。いつの間にかバラバラになっていたのかもしれません。神様は痛みを通して、もう一度一つになるように呼び寄せてくださいました。そして一つになる時、キリストの体の美しさ、力強さが発揮されていくのです。

3.霊とからだをつなぐ働きが進む(包括的宣教)
 あるクリスチャンたちは霊的なことが大事で、肉体的なこと、実際的なことはあまり重要ではないと思っています。またあるクリスチャンたちは霊的なことではなく、実際的なことにばかり関心を持ちます。でも災害ということを通して、私たちは心と体、霊的なものと肉体的なものとは一つである、どちらも大切だということを確認しました。両方に仕えていくということが、神様の福音の全体像なのです。

4.つなぐ原動力=アガペーの愛、そして祈り Ⅰヨハネ4:10-12

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(10)

 神である方が肉体をもってこの世界に来てくださり、汗を流し、涙を流し、そして最後には十字架で血を流してくださいました。目に見ること、触れることのできるかたちで神様の愛を具体的にあらわしてくださったのです。しかもそれは私たちのためです。神様に無関心で、背を向けている私たちに、神様がまず近づいて、愛を現わしてくださいました。愛を知った私たちは、今度は他の人のところにこの愛を届けるのです。この愛があらゆる壁を打ち破り、希望を与えます。大きな痛みのある世界の只中に、神の恵みの世界、主の癒しのわざが少しずつ広がっています。私たちもその管として用いられるように祈りましょう。

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