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2021/5/30  イエスとの出会いpt2「親密さへの渇き」 ジェシー・ローズ師

聖書 ヨハネ4章4~18節  中心 ヨハネ4章10節

1.スキャンダルな出会い ヨハネ4:7

①知らない女性に男性が声をかけた。②ユダヤ人であるイエス様がサマリア人に声をかけた。③この女性は評判の悪い人だった(4:16-18)。イエス様はこの女性を詳細に、プライベートなことまで知っておられました。ご自分の渇きをいやすためではなく、女性の渇きをいやすためにイエス様は求められたのです。

2.わたしたちの心の渇き ヨハネ4:10

私たちみんなが感じている心の渇き、親密さへの渇きです。親密さというのは、完全に知られ、かつ完全に愛されている経験です。「愛されているけど知られていない」のは塩水を飲んでいるようなもので、さらなる渇きを起こします。「知られているけど愛されていない」のは最大の恐怖です。真の自分を知られたら拒絶されるのではないかと恐れ、たくさんのエネルギーを用いて本当の自分を隠そうとします。彼女は弱みを見せていましたが、本物の愛で愛される経験をしていませんでした。彼女の人生には親密さへの深い渇き、決していやされることのない渇きがありました。

3.わたしたちの渇きの源

 三位一体の神は永遠に完ぺきな親密さをもっておられます。神様はそのようなイメージに人間を創造されました。神様と、また人々との間に親密な交わりを必要とする存在として造られたのです。しかし、親密さは長く続きませんでした。それは罪のゆえです。小川の上流が毒されると下流は影響を受けます。アダムとエバの関係は第二のものであり、第一は神様との関係です。神様との親密な関係がアダムとエバの親密さを可能にしましたが、罪によって神様との親密さが失われた時、人間の関係が壊れました。私たちは心の渇きをいやすため、親密さの代わりとなるものを求めるのです。

4.渇きをいやす唯一の水

 完全に知られ、完全に愛される経験をするために二つのことを知る必要があります。一つは神の賜物、もう一つはイエス様がどなたであるか知ることです。十字架上でイエス様は誰も経験したことがないような渇きを経験され、「わたしは渇く」と言われました(ヨハネ19:28)。父と御霊との永遠の親密さから切り離される渇きを経験されたのです。私たちが親密さを経験するために、イエス様が親密さから除外されました。

 私たちのすべての罪、失敗、最も暗い秘密の部分、恥の源、これまで何をしてきたのか、これから何をするのかもすべてご存知の上で、イエス様はあなたのために自分の命を捨てるほど完全に愛しておられます。この愛を経験する時、人生を変えるほどの安心と自由が与えられます。

妻は私の一番良い所も、最悪な所も知った上で私を愛してくれました。その経験は大きな変化をもたらししました。妻との関係に安心を得ているので自分らしくいられるようになり、他の人が自分をどう思うかは気になりません。私にとって一番大切な人がすでに私を愛してくれているからです。

神様との関係が第一であり、他の全ての関係は第二のものです。福音を通して神様との親密な関係を経験する時、真の源である神様から出る生ける水を飲む時、私たちは変えられ、自由になっていきます。その時、渇いている人たちが私たちの中にキリストを見出します。私たちは親密さの真の源であるイエス様を指し示すことができるのです。

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