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2021/6/13       「用いてくださる主」      松尾献主事

聖書 ヨハネ6章1~14節  中心 ヨハネ6章10節

●神というお方

・神様はご自分が<どのような神であるか>を表す時に、人を用いる神である。

 どんな小さい者、弱い者をも用いることができ、用いたいと願う神様です。問題があるとするなら私たちが神様の呼びかけに応答しないことです。「・・・この人たちに食べさせようか」 (5)。「試すため」(6)とあります。

●私たちの応答

・現実主義:ピリポは二百デナリあっても足りないと言いました(7)。

・ニヒリズム:アンデレは少年のパンと魚は役に立たないと言いました(8-9)。

これが普通の人の、極めて常識的な反応でしょう。私たちも同じ反応をするのではないかと思います。

・どうぞ使ってください:全く違う反応をした少年がいました。イエス様は少年が大切な弁当箱をささげた、その応答が嬉しかったのです。

●神というお方 その2

 イエス様はお腹を空かせている人たちを見て心動かされ、食べさせたいと思いました(5)。イエス様は今も福音に飢えたまま滅びようとしている人々を見て心を動かされます。福音を聞かなければ本当の飢えは満たされません。キリストの弟子である私たちは「どこからパンを買ってきてこの人たちに食べさせようか」という呼びかけに何と答えるでしょうか。「私でよかったら使ってください」という応答を待ち、その小さな応答を喜んでくださいます。

 KGKの一人の学生の応答:学校で聖書を読むと決めた。彼が学生の間はメンバーが与えられることはなく、月例会も二人だけの時があった。最後の月例会に一人の学生が来た。続けて来てくれるようになり7~8人になった。

彼がささげた放課後の一時間は小さなささげものかもしれません。でも彼にとって大切な時間です。イエス様は感謝して受け取り、神のご用のために用いてくださいました。イエス様にささげて無駄になるものは何一つないと、イエス様は見せてくださったのです。

 しかし、覚えておきたいことが一つあります。それは神のタイミングで起きるということです。もしかしたら時間がかかるかもしれません。

 私が受け持った3年2組の子どもたちが21歳になり、11年ぶりにZOOMで再会した。楽しい時間を過ごした後、一人の教え子が「先生YouTubeに出てるよね。ぼくらのこと話してたよね」と言った。他の子たちも「じゃあ見てみよう」と言ってZOOMを切った。

当時は福音を語れない職場で、朝早く教室で子どものために祈っていました。こんな不思議な形で教え子たちが福音に触れることができています。イエス様のためにささげた小さな弁当箱が、神の不思議な方法、神のタイミングで用いられた出来事だと励まされました。

ささげた祈りや時間や奉仕がどのように用いられるかはわかりません。私たちが生きている間にその実を見ることもあれば、見ることを許されないこともあるでしょう。しかしイエス様のためになした信仰の応答を、イエス様は一つも無駄にされません。神様はまだ福音を聞いていない人たちに福音を届けたいと切に願っています。イエス様はすでになさろうとしている計画があります。そして今日も問いかけています。「どうしたらいいかな」。みなさんはこのイエス様の呼びかけにどう応答するでしょうか。

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