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2021/6/20 「どうか、あなたの栄光を私に見せてください」 ジェシー・ローズ師

聖書 出エジプト33章15-23節、34章5-9節  中心 出エジプト33章18節

1.栄光を求める私たちの心

 私たちは神様の偉大さ、美しさ、完全さを経験する中で、栄光を垣間見ることができます。神様こそ、この地上の栄光の背後にあるお方です。私たちは栄光への渇きを持つ者として造られました。その渇きは神様の栄光によってのみ満たされます。「どうか、あなたの栄光を私に見せてください」(18)。モーセは同時代の誰よりも神様の栄光を見て来ましたが、もっと神様の栄光を見たいと願いました。

 イスラエル人は金の子牛を造り拝みました。私たちも、神様は役には立つけど必要なお方ではないと考え、偶像に心を寄せてしまいます。神様に受け入れられ、平安を得るよりも、他の人にいかにして受け入れられるかを求め、成功という偶像を造り上げてしまうのです。

2.真の栄光を経験するのを、私たちの心がどのように妨げているか 

 パウロは栄光という言葉を用いながら偶像の正体を暴いています(ローマ1:21-23)。偶像は神様の栄光を偽りの栄光にすり換えます。人間の心には神様の栄光のかたちをした空洞があります。神様の栄光が私たちの心から欠けていると、別の栄光がすぐに心に入り込み、真の栄光を経験する能力までも壊します。

 モーセは栄光を見ることを求めましたが、神様の完全な栄光はモーセを滅ぼしてしまいます。心に罪があるからです。どのようにして神様はモーセを滅ぼすことなしに栄光を現わされたのでしょうか。神様ご自身の名前を教えることを通して栄光を現わしてくださったのです。

3.栄光を求める私たちの心をどのように満たされるのか

 神様はご自身の名前を与えることによって栄光を現わされました(34:5)。神様の名前は神様の変わることのないご性質を、私たちが聞くことのできるかたちで表されています(34:6-7)。このお方は恵みと憐みに満ちたお方です。罰すべき者を必ず罰するお方です。罪人に恵みを現わすことを通して、また正義を行うことを通して栄光を現わされます。恵みと正義をどのように理解したら栄光を求める心が満足するのでしょうか。

そのカギを福音の中に見出すことができます。福音において、神様の完全な正義と完全な憐みが一つにされました。私たちは神様の前に立つ時、みな罪人です。神様の栄光を偶像にすり替えています。神様の完全な正義は私たちの罪を見逃すことができません。神様は私たちが罪を犯していないかのように偽ることはできないのです。私たちは神様の裁きを受けるにふさわしい者、死に価する者です。イエス様は私たちが送ることのできない完全な生涯を送ってくださいました。イエス様は十字架で、ご自分の罪による裁きではなく、私たちの罪の裁きを受けられました。その結果、私たちは神様の恵み、赦しを受けています。恵みと正義が一つになりました。

私たちもまた神様の栄光を経験する必要があります。モーセに示された神様の栄光、偉大さ、美しさ、完全さ、完全な恵みと完全な正義を、イエス・キリストを通して経験することができるのです。

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