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2021/7/11   永遠に価値ある人生のコアバリュー② 信仰によって生きる  横田法路師

  聖書 へブル11章1~6節、12章1~2節   中心  ヨハネ14章1節

Ⅰ.神への信仰・信頼によって生きる(神に心を向けて生きる)生き方は、永遠に価値ある生き方である。

1.神は信仰を喜ばれるから  へブル11:6

神様に関心を持ち、心を向け、愛することです。できることはわずかであっても、何もなくても、信仰こそが神様を喜ばせるのです。

2.信仰は、周りの人たちや後の人たちに大いなる励ましと勇気を与える へブル12:1

雲のように取り囲んでいる証人たちがあなたの応援団です。あなたが神様を仰ぎ、心を向けて歩んでいることは、実はあなたの知らないところで誰かの応援、励ましとなっているのです。   

3.信仰は、私たちの生き方を大きく変える  へブル11:1

①信仰は、私たちの生きる世界を無限に広げてくれる。 ②信仰は、目に見える現在の世界を超えて、神が約束された良き未来を先取りする能力である。③信仰は、目に見える物質的世界を超えて、目に見えないけれども存在する霊的現実、霊なる神とつながる能力である。

 信仰は「望んでいることを保証し」、将来のことを今すでに与えられているように生きる力を与えます。また、「目に見えないものを確信させるもの」です。アブラハムは失望するような状況を見ても、遠くを見て喜ぶことができました。モーセは「目に見えない方を見ているようにして、忍び通した」のです。信仰の力が備わる時、現在という牢獄から解き放たれ、無限に広がる世界を生きることができるようになります。

「信仰とは、見えないものを見ることができる霊的能力である。」

Ⅱ.イエス・キリスト(神の言葉)がわたしたちに信仰を生じさせ、また信仰を育ててくださる へブル12:2

 「信仰の創始者」、信仰を生み出してくださり、「完成者である」、信仰を育ててくださいます。私たちはイエス様から目を離してはいけないのです。「岩の上に、わたしの教会を建てます」(マタイ16:16-18)。「あなたは生ける神の子キリストです」の告白、信仰の上に建っています。これが私たちの信仰の中心です。

『ナザレのイエスは神の子か?』(リー・ストロベル)より:①イエスが神の子であれば、その教えには絶対に変わらない神の見識があり、それを基に人生をしっかり構築することができる。②イエスが死から復活したのであれば、イエスは今も生きておられ、イエスと個人的に出会い、個人的な交わりを築いていける。③イエスが死を克服したのであれば、イエスは私のためにも永遠の生命への扉を開けることができる。④イエスに神の力があるなら、いかなる状況にあっても私を助け、変えていく超自然的力をもっている。⑤イエスが苦しみや悲しみを知る人ならば、罪で堕落した世界では避けることのできない苦しみ、痛み、不安を理解し、私を慰め、勇気づけてくれる。⑥イエスが私を愛しているなら、イエスは私の最善を知っている。私のすべてをイエスに預けるとき、私には失うものがなく、すべてが益とされる。⑦イエスが真に神の子であるなら、私を造った創造主であるイエスに忠実、従順となり、イエスを礼拝すべきである。

 いろんな不安や恐れがある時こそ神様に心を向けるのです(ヨハネ14:1)。自分の力や考えに頼ろうとすると不安がやってきます。神様は耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に脱出の道、突破口を用意してくださっています。そのことを信じて前に進んでいくのです。あきらめないでトライしていく、それは必ず神様が真実で、乗り越える道を用意してくださっているからです。

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