Menu

0 Comments

2021/7/18永遠に価値ある人生のコアバリュー③希望なき時、希望を抱いて生きる

聖書 ローマ4章16~25節   中心 ローマ4章20-21節   横田法路師

Ⅰ.希望はどのようにして生まれるのか? 希望=神の約束+信仰

「望み得ない時に望みを抱いて信じ」(4:18)、アブラハムは希望を持ち続けることができました。神の約束を信じていたからです(4:20-21)。私たちクリスチャンは希望の民です。神の約束が与えられています。目の前の状況が失望するようなものになればなるほど、戻るべきは神のみ言葉、神の約束です。

Ⅱ.究極の希望についての神の約束

希望を失わず、希望を持って歩むためには、神の約束をよく知ることが大事です。聖書には多くの約束があります。その中心的な約束は、旧約:やがてメシアがやってくる、新約:イエス様が再び来られるということです。

私たちに対する神の中心的な約束=歴史の終わりについての神の約束

・キリストの再臨(黙示録22:12) 悪に勝利し、報いを与えてくださる

・救いの完成=復活の主と同じ栄光のからだに変えられる(Ⅱコリント3:18)

・平和(シャローム)の実現(イザヤ11:6-9) 暴力がすべて取り去られ、真の平和が支配する世界

・新創造(黙示録21:3-5) 「もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない」世界。私たちの喜びを制限するものはありません。

・神を見る(Ⅰコリント13:12、詩篇27:4) 私たちの心の奥底にある渇きは、神様を知ることによって満たされます。やがての世界では、神様をもっと親しく知ることができます。その祝福は自分で到達するものではなく、神様が恵みによってなしてくださるわざです。

歴史の終わりにおいて、神様は約束を必ず成就されます。死を打ち破って乗り越えさせることのできるお方がいる時、私たちの希望も死で途絶えません。死を超えて希望は生き続け、実現していくことができるのです。

Ⅲ.神の究極の希望は現状を変える勇気と力を与える

神の究極の希望がハッキリとしている時、その希望は、その一歩手前の無数の小さな希望を生み出します。その希望が私たちを鼓舞し続けるのです。小さな希望は消えることがあっても、究極の希望があるからまた次の希望を生じ、前進し続けることができるのです。

CGNTVで一人の方のお証しを聞きました。「奥さんが病気で記憶を失い、何もわからない状況になった。ご主人は職を辞して奥さんを介護した。周りは『奥さんはあなたが誰であるかもわからないのに』と引き止めた。彼は『彼女は私が誰であるかわからないだろうが、私は彼女が誰であるかわかっている』と言った」。私たちは彼女がやがてどうなるかを知っています。今、病気など不自由さがあっても、それがすべてではありません。やがてその人もイエス様と同じ栄光の姿に変えられる時が来ることを私たちは知っています。

(『力の源泉』より吉田龍昭兄のお証し)シャローム教会は恵まれた教会であり、献身的な教会であると言われます。このような兄弟の信仰が流れている教会だと思います。私たちの目の前に見える兄弟は弱っていく中にありますがそれが終わりではありません。やがて栄光の姿に変えられることを私たちは知っています。それが私たちの喜びであり希望です。それがあるからこそ、今、どんな中にあっても失望しないで、上を仰いで生きることができるのです。

タグ: