Menu

0 Comments

2021/8/1永遠に価値ある人生のコアバリュー④キリストの聖い愛に溶かされて、生きる

聖書 Ⅰコリント13:1~8、13   中心 Ⅱコリント5:14-15    横田法路師

どんなものも神様の愛をストップすることはできないとパウロは確信していました(ローマ8:38-39)。愛には諸相があります(Ⅰコリント13:1-8)。一つにまとめるなら、「愛は、相手の益のために、自らを犠牲にしても相手の真の必要を見極めて仕えること」です。

1.愛は目標ではなく、賜物(ギフト)  Ⅰコリント12:31(賜物の結論)

12章の賜物の結論が31節、そして13章に愛が出てきます。愛は「よりすぐれた賜物」ということです。愛が目標となる時、自分の努力でやろうとして失望したり、高慢になったりします。私たちはどこに行ったらそのギフトを受け取ることができるのでしょうか? 神様の愛が決定的に現れた場所はカルバリの十字架です。イエス様は私たちの罪を赦すために、自ら進んで身代わりとなって、十字架にかかって死んでくださいました。私たちは愛を受け取るために十字架の前に出て行くことです。

2.キリストの愛に溶かされる

 プレッシャーは外側の行動を変えることはあっても内側は変わりません。人は何によって変わるのでしょうか? パウロはキリストの愛に出会ったことによって変わりました(Ⅱコリント5:14-15)。キリストの愛を知り、溶かされたからです。罪人のかしらである、こんな醜い私をキリストは愛してくださっている、このキリストの愛を知った時、彼の生き方は180度変わったのです。

私たちは愛する理由のあるものを愛します。愛されるに価しない者を愛するのが神様の愛の特色です。その愛はどこから出てくるのでしょうか? 愛される側が愛を引き出すのではなく、神様が愛であるから愛されるのです。その愛を受けた時、私たちは愛の人に変えられ、愛が流れます。大事なことは目標に向かって努力することではなく、十字架の下にとどまることです。そしてキリストの愛を受け、その愛に溶かされて行くことです。それが、私たちが愛の人に変えられていく鍵となります。

私の父が人生を変えられたのも、まさにカルバリの十字架の愛との出会いでした。

私は17歳の時にクリスチャンになりました。早天祈祷会に出るように言われ、6時からの早天祈祷会に出席するようになりました。祈りの順番が回ってきて、「天のお父様」と祈りかけると、聖書で読んで知っていた、そして今までメッセージで聞いていたカルバリ山のイエス様の十字架がまざまざと示され、「イエス様、イエス様」と言いつつ、祈りが先に進みませんでした。イエス様は私を愛して、こんな私のような者も見捨てないで、「あなたを愛して、わたしはあなたのために十字架の上で命を捨てた。これはあなたへの愛の証しだ」と言ってくださいました。―『力の源泉』270-271p―

 今まで聞いていた十字架が示されて、「あの十字架は私のためだったんだ」、その愛がわかったのです。それが父の生涯を変えました。

キリストの愛の豊かさ、広さ、長さ、高さ、深さは一回の経験では知り尽くせない、生涯知り続けていく、求め続けていくものです(エペソ3:14-19)。そしてその豊かさを知っていく中で、私たちの心が溶かされ、キリストの似姿へと変えられていきます。私たちの生涯はキリストの愛を知っていく生涯です。それが、私たちが愛に生きる者へと変えられていくカギです。

タグ: