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2021/11/14  イエスの弟子として生きる  ジェシー・ローズ師

聖書 ルカ5章29~39節   中心 ルカ5章34-35節

イエス様の弟子として生きるとはどういうことでしょうか。

1.新しい使命

パリサイ人は弟子たちが取税人や罪人と食事をしていることに不平を言いました(29-30)。弟子たちは、師であるイエス様がそのようにしておられたから食事を共にしたのです。イエス様が来られたのは罪人を神様と和解させるためです(31-32)。自己義認する人を肯定し、罪人を裁くためではありません。天の王座を後にして、この世界で貧しい人として生き、十字架の上で辱められ、罪人として死なれました。私たちのような罪深い存在が神様の食卓に着くためです。弟子である私たちも罪人を愛し、神の王国に導く使命に召されています。人間関係は私たちのためのものではなく、友人や罪人たちが神様と和解する機会です。イエス様は新しい使命を与えてくださったのです。

もう一つは33節、こんなに訓練されていない弟子を持つのは、いったいどんな教師なのだろう、という批判です。

2.新しい喜び

イエス様は悲しみの断食と喜びの結婚式を対比されました(34-35)。花婿であるイエス様は、私たちの日常生活を中断させるような喜びです。クリスチャンの喜びは状況に基づいたものではなく、イエス・キリストが人生におられることから来る喜びです。人生には悲しみや痛みがありますが、クリスチャンはすべてを中断させる喜びによって状況を見ることができるのです(ピリピ4:4)。

3.新しい中心

 二つの例えによって一つのポイントを教えています(36-39)。イエス様は新しい衣であり、新しいワインです。イエス様が来られる前、私たちは古い布切れであり皮袋でした。イエス様を通して新しい経験をした者、変えられた経験をした者はそれを閉じ込めておくことはできないのです。古い生き方は過ぎ去らなくてはなりません。イエス様を新しい中心とした人生に導かれるのです。ここにイエス様の弟子とパリサイ人の違いがあります。イエス様の弟子たちは喜んで古い生き方を脱ぎ捨て、イエス様を新しい中心としてお迎えしました。パリサイ人は自分の古い生き方を維持し続けました。今の生き方を手放そうとしなかったのです。古い衣を塞ぐ新しい布のように、イエス様を自分の中に閉じ込めようとしました。しかしイエス様はそれではうまくいかないと言われました。

 C.S.ルイス『キリスト教の精髄』より:自分が家であるとイメージする。イエス様が建て直すために来られる。屋根の穴を塞ぎ、水回りを修理した。それは理解できる。小さな箇所を直し、ペンキを塗り直す。それも期待できる。ところが突然痛みを伴い、驚き、ショックを受けた。壁を壊して部屋を広げ始め、新しいフロアが造られた。

あなたは小さなところを修理してもらい、小さな家に住むことを期待していました。しかし、イエス様はあなたを宮殿にしようとされています。イエス様が王宮に一緒に住むためです。私たちがイエス様の弟子になる時、イエス様は人生の新しい中心になってくださいます。古い家はイエス様によって拡張され、イエス様の家となります。イエス様が来て一緒に住もうとされているからです。

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