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2021/8/22  「イエス様に目を上げ続けよう!」  横田法路師

聖書 へブル12章1~3節  中心 へブル12章2節

「心が元気を失い、疲れ果ててしまわないように」(3)するために何が大切でしょうか?

1.身を軽くする―罪を捨て、重荷を委ねる(12:1)

・罪を捨てる:神様が喜ばれないことがわかっているなら曖昧にせず、そこから離れ、方向転換をすることが悔い改めです。

・重荷を捨てる(マタイ6:32-34):自分でコントロールできないことを神様に委ねることです。私たちが日々やるべきことは十分にあります。神のみこころに従ってそのことに集中することです。

2.覚える 周りに応援してくれる信仰の先輩や仲間がいることを覚える(12:1)

 信仰の歩みは一人ではありません。私たちは孤独を感じる時に元気を失い、疲れ果てます。「あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません」(Ⅰコリント10:13)。信仰の先輩たちを覚え、信仰の仲間が祈ってくれていることを覚えましょう。また、今戦っている兄弟姉妹のために、あなたに祈っていただきたいのです。

3.イエスから目を離さない 12:3

 「考えなさい」は「比べる」という意味もあります。私たちはよく人と比べて惨めになったり、落ち込んだり、傲慢になったりします。人ではなく、あなたの歩み、試練、人生をイエス様と比べると勇気と励ましと希望が与えられます。どうしてでしょうか。

①イエス様は信仰の創始者であり完成者であるから

・創始者:私たちの内に信仰を生み出してくださる。信仰とはイエス様が与えてくださるもの。

・完成者:信仰を続いて育ててくださる。全うさせてくださる。完成してくださる。

 救われた時はイエス様のお陰、救われた後はいつの間にかイエス様から目を離して、自分の力、考えで歩んでいこうとします。あなたに信仰を与えたイエス様はあなたの信仰を育て、完成させてくださいます。だから「イエスを見つめながら走りましょう」(新共同訳)。イエス様は私たちの信仰生涯のゴールであるだけではなくガイドです。弱っている時、倒れてしまう時に放っておかないで、再び立ち上がり、歩き出すことができるように助けてくださいます。

②辱めをものともせずに十字架を忍んだお方

 恥は人々を弱らせたり委縮させたりします。弱点が露にされることを恐れます。イエス様は十字架を恥ずかしいと思わず、神のみこころ、救いの道、栄光の道、勝利の道であるという基準に生きておられました。神の基準に生きる時に私たちの価値観が変わります。神のものさしで生きる時、そこに真の自由が生まれてきます。イエス様が辱めをものともせず十字架を耐え忍ばれたのは、父なる神のものさしに生き、それが喜びであることを知っていたからです。

 イエス様に従っていく生涯はイージーな生涯を約束しているのではありません。しかし、私たちが神のものさしに生きる時、この社会の中にあって真に自由に生きることができ、大胆に生きることができます。神のものさしが具体的なかたちになったのがイエス・キリストです。イエス様から目を離さないで、このお方に日々耳を傾けることです。イエス様の内におられた聖霊が私たちの内にあって、イエス様が生きることのできた力を与えてくださいます。

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