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2021/8/29 「イエス様からの召し」  ジェシー・ローズ師

聖書 ルカ5章1-11節、イザヤ6章5-8節   中心 ルカ5章11節

「イエス様はどういうお方か? 私たちはイエス様にどのように応答するのか?」

1.イエスは私たちの先入観(期待)を超えられる 5:4-5

群衆は期待や先入観を持ってイエス様のもとに来ました。私たちも健康や人生の成功、幸せや快適さを求めます。私たちは自分の人生をコントロールし、快適なものにしたいという願いを叶えてほしいのです。しかし、イエス様はそれらのことを約束しておられません。なぜなら、これらのことを与えることが私たちの心の偶像を養うことになると知っておられるからです。イエス様が与えようとされているのはそれらをはるかに超えるものです。

2.イエスは私たちの真の必要をあらわにされる 5:8

 ペテロの応答は奇妙に思えます。イエス様はペテロの罪について何も語っていません。イエス様がペテロの舟を用いて奇跡をなされたことを除けば、ペテロとは何の関係もないのです。それではなぜペテロは自分の罪がそれほど気になったのでしょうか。イザヤも同じことをしました(イザヤ6:5)。イザヤは神の聖さと栄光を経験した時、自分が汚れた者であること、神様の怒りに撃たれるような者であることに気づいて圧倒されました。「ここに私がおります。私を遣わしてください」と言うことができたのは、彼自身の罪が赦され、彼の前にあった恐れが取り除かれたからです(6:7-8)。これはペテロにも私たちにも必要です。私たちは恐れが取り除かれて、神様の臨在を喜ぶ者に変えられる必要があります。

 どうしてイエス様はペテロの罪を横に置かれたのでしょうか。私たちの罪は大した問題ではないのでしょうか。イエス様が言わなかったことを理解することが重要です。イエス様はペテロに「あなたの罪は些細なことだ」と言われませんでした。イエス様が言われたことは、「あなたの恐れが、あなたがわたしに近づくことを妨げさせてはならない」ということでした。イエス様がペテロに「恐れてはならない」と言われたのは、イエス様ご自身がペテロの罪を贖われるからでした。

イエス様は私たちにも語っておられます。「恐れてはならない。あなたの不完全さや罪が、わたしに来るのを妨げさせてはならない」。十字架の上でイエス様は神様の怒りをすべて受けられました。イエス様は燃えさかる炭を経験されただけではなく、地獄の炎を私たちのために経験されたのです。イエス様のゆえに私たちは神様の怒りを受けることがない者とされたので、恐れることなく神様の前に立つことができるのです。イエス様は私たちの必要をあらわにされました。

3.イエスは犠牲を特権へと変えられる 5:11

 どうすれば、すべてを置き去りにするほどイエス様が素晴らしい方であると気付くことができるのでしょうか?

 「人々はアフリカで私が払っている犠牲のことばかり語るが、私たちは神様に対して決して返済できないほどの負債を負っている。それがわかれば、犠牲と呼ぶことができるだろうか。私のしていることは犠牲ではなく特権だ。」(リヴィングストン)

地上において一時的な不自由さ、不快なことがあっても、イエス様はそれに勝る価値あるお方です。私たちのためにすべての宝を置いて、究極の苦しみや困難を経験してくださったからです。私たちが喜んでイエス様に従う能力は、私たちがどれくらい深く、どれほど頻繁にイエス様の愛を経験しているかに等しいのです。福音を通してイエス様の愛の中で成長していく時、イエス様のための犠牲を特権と感じるようになるのです。

 終わりにみなさんにお尋ねします。

「あなたにとってイエス様はどういうお方でしょうか? 今日、あなたはイエス様に従われますか?」

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