Menu

0 Comments

2021/11/21    「なんという幸せ なんという楽しさ」    横田法路師

聖書 詩篇133篇   中心 詩篇133篇1節

 本当に人を幸せにするのは、一つになって共に生きることです。

交わりが破綻する理由

①理想が交わりを壊す:理想から入ると不満が出てきます。方向性と現状を見る、両方が必要です。(親は子どもに目標を持つ。目標ばかり見ていると子どもの訴えや気持ちに目を向けなくなる危険性がある)

②相性が交わりの中心となる:とても狭い交わりであり、やがて健全さを失っていきます。

1.自分中心の交わりに幻滅する神の恵み

 交わりにがっかりすることがあるのは当然です。真実な交わりは失望、幻滅したところから始まります。そこに神様の恵み、真実なものが生まれてくるからです。

 友人の言葉:自分と合わない人、苦手な人はとても大事な存在。そういう人に出会わないと自分は愛があると勘違いしておごりやすい。無人島で「俺は愛がある」と叫んでいるようなもの。誰かが上陸してきたら、愛はもろくも崩れ去る。

 愛があると思っているうちは愛がわからない、愛が尽きたところから真実な交わりが始まります。

2.キリストにある交わりの強固な土台が与えられている恵み  エペソ2:14~16

 当時のユダヤ人と異邦人の間に根深い問題、壁がありました。パウロはイエス・キリストがその壁を打ち壊されたと言いました。イエス様が十字架で死なれたのは私たちのためです。私たちの罪深さ、反逆心、冒瀆、一切を身代わりに引き受けてくださいました。神様と和解し、交わりが回復し、神様の愛と恵みの中に生きることができるようにしてくださったのです。敵意は十字架によって滅ぼされました。

 私たちの周りにもわかり合うこと、愛し合うことが難しい方もおられるかもしれません。愛することの難しさを知るのはとても大事です。私たちの愛が尽きる時こそ、神の愛が働く始まりです。その時に私たちは十字架を振り返り、イエス様に愛されていることを確認します。その愛をもって遣わされていく、その繰り返しです。この繰り返しが大事なのです。

3.事あるごとにキリストにより頼まざるを得ない愛の交わりの祝福 創32:24~32

 ヤコブは生涯足を引きずって歩くようになりました(31)。彼は神様により頼みながら歩く人になったのです。それが神様の祝福です。私たちは自分の力で何でもできる、どこでも行けることが祝福だと思いやすく、いつの間にか高慢になります。神様により頼まなくてはやっていけない生涯こそ、本当の意味での祝福された生涯です。神様に愛をいただいて進む一歩一歩、それこそ神様がヤコブに与えた祝福の生涯です。

 「なんという幸せ なんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになってともに生きることは」。一つとなって共に生きることは祝福です。それはイエス様が真ん中に立ってくださる道であり、十字架の愛に押し出されて愛していく道です。イエス様に頼らずには歩けないことを自覚しながら、イエス様の愛の中に歩んでいく道です。そこにおいて一つになることが可能となっていくのです。

タグ: