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2022/1/30  「キリストの下にある自由な生活」  横田法路師

聖書 ガラテヤ2章15~21節  中心 ガラテヤ2章20節

福音⇒罪・悪・死の支配からの解放(自由)の知らせ(ガラテヤ5:1)

1.「行いによる救い」からの解放—身代わりのキリストを信じる信仰 ガラテヤ2:16

 救われるために良い行いが必要なら、私たちは出口のない迷路に迷い込むようなもの、救われているかどうかわからなくなります。キリストが私たちの罪のために身代わりとなり、十字架で罰と呪いを受けてくださり、真っ白な義の衣を私たちに着せてくださいました。必要なのは中途半端な良い行いではなく、イエス様を救い主と信じることです。これが福音の中心メッセージです。救われた私たちはイエス様を愛し、感謝して教会を愛し、喜んで礼拝に出て行くのです。

マルチン・ルターは「『信仰による義人は生きる』というパウロの一句が、天国への扉になった」と言っています。ルターの人生が変わっただけではなく、宗教改革がここから始まりました。一人の人が救いの喜びと確信を持つ時、その人の人生が変わり、周りが変わり、社会、世界が変わっていくのです。

2.自己中心の生活からの解放―内住のキリストを信じる信仰

 私たちはキリストの下で生きることを不自由だと思ってしまいます。自分の経験にイエス様を読み込んでしまうからです。私たちの王はこの世の王とは違います。失敗だらけで反抗ばかりする罪人の私たちをどこまでも愛し、救い出すために自分の命を差し出してくださいました。だから私たちはイエス様を愛して、信頼して従っていきたくなるのです。このお方のもとで生きる人生は窮屈ではなく、喜びの人生、充実した人生です。

 私たちも信じようではありませんか。命を捨てるほどにイエス様に愛されていること、私を決して見放さない、真実なお方であること、これが内住のキリストを信じて生きる生涯です(ガラテヤ2:19-20)。 キリストの下にある生活の鍵は、明け渡しと相談です。このお方に相談し、より頼んで生きる時、必要な気づきや助けが与えられます。

3.神の恵みを体験する(喜びに与る)鍵は信仰である

 信仰こそ神の恵みの扉を開く鍵です。無尽蔵の宝が注がれます。信仰ほど素晴らしいものはありません。この世は目に見えるものがすべてです。神様の真理を体験する鍵は納得ではなく信仰です。信仰は人生に大きな違いをもたらします。

飛行機の乗客の話です。不安でエンジョイできない人も、エンジョイする人も、同じ目的地に着きます。信頼するとエンジョイできるのです。私たちは神様と神の言葉を信頼して生きようではありませんか。その時、私たちはもっと自由に、大胆に、エンジョイしながら歩むことができます。

アブラハムは信仰の人として死にました。目の前に見えるのは一握りのもの、約束のものを手に入れることはありませんでしたが、やがて成就する遠い未来を見て、喜びながら信仰の生涯を閉じました(へブル11:13)。私たちも現実に失望するのではなく、約束を信じ、神様を信じて、今を喜んで生き、喜んで召されていきたいと思います。信仰こそが喜びをもたらします。これこそ私たちが後の世代に遺すべき信仰の姿です。

シャローム教会は、どんな環境にあっても、神と神の約束を信じて喜ぶ人の集まりになりたいと思います。

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