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2022/2/6  「兄の祝福」  ジェシー・ローズ師

聖書 創世記27章26~40節、28章10~15節   中心 ヨハネ1章15節

1.祝福を必要としている私たち

 ヤコブは家族を犠牲にして兄から祝福を奪いました。イサクはエサウだけを祝福しようとしていました。当時の習慣(すべての息子に分配)とは違うことをしようとしていたのです。エサウがイサクから受け継ぐ祝福「ユーロゲオー(εὐλογέω)」は良い言葉を割り当てるという意味です。息子に対する願いや希望の現れでした。父親からの良い言葉はアイデンティティに重要だったので、ヤコブはどんな犠牲を払ってでも得ようとしたのです。

私たちは自分が思う以上にヤコブに似ています。私たちのアイデンティティと重要性の感覚は他の人からの祝福と結びついているのではないでしょうか。

 小学生の頃、友だちになりたいグループがありました。他の友だちをからかったりするグループでした。彼らに受け入れられたいと思い、気がつくと、同じように他の子どもたちを傷つけていました。いつの間にか友だちからの承認と祝福を求めていたのです。

 他の人の承認と祝福を受けようとすると、他の人がどう見ているか、何と言っているかが気になります。自分のアイデンティティや重要性は周りの人よると考える誘惑に遭います。祝福が自分の人生に意味や目的を与えると考え、どんなことをしても祝福を得ようとします。

ヤコブは本来エサウに与えられる祝福と栄光を奪い取り、エサウは父親から呪いと拒絶を受けることになりました。ヤコブに与えられるはずであった拒絶です。ヤコブが受け取った祝福は家族を分断させ、彼は遺産を手放して逃げなくてはならなくなりました。しかし神様は、逃げているヤコブに出会ってくださり、よりまさった祝福を与えてくださいました。

2.神はよりまさった祝福を与えられる

 夢において神様ははしごの一番上に立ち、祝福を与えられました(創世記28:13-15)。ヤコブは祝福を求めて荒野に出て行ったのではありません。神様が荒野でヤコブを求め、祝福を与えられたのです。神様は全世界の家族を祝福するために彼を用いると言われました。なんという恵み深い神でしょうか。神様はヤコブと同じ約束を私たちにも今日与えてくださいます。

3.兄からの祝福

イエス様はナタナエルをヤコブの夢の場面に導かれ、「わたしこそが天と地をつなぐ存在です。わたしこそ、全世界に祝福をもたらすために神様が用いられる手段です」と言われました(1:50-51)。はしごの上からヤコブに与えられた祝福が、イエス様を通して私たちのところに来たのです。

イエス様が洗礼を受けられた時、神様からの究極の承認、祝福を受けられました(マルコ1:11)。 忠実に神様に従われたイエス様が「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」(詩篇22:1)と叫ばれました。十字架上で私たちが受けるべき呪いと拒絶を受けられたのです。十字架上で経験された沈黙は、私たちが神様の声を聞くためです。信仰によって私たちはイエス様に与えられた祝福を受け取るのです。

イエス様は私たちの真の兄であり、本来受けるべき祝福を失われた方です。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ」(マルコ1:11)、イエス様の祝福が私たちの祝福になります。この祝福が重要性の源となる時、私たちは周りの人を源とすることから解放され、他の人を祝福する生涯となっていくのです。

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