Menu

0 Comments

2022/2/27 「神の心を動かすものの足」 松尾献主事

聖書 ローマ10章12~21節   中心 ローマ10章15節

●前提:聖書が教える福音の力とは 〜すべての人に福音は開かれている〜10:12-13

・「主の名を呼び求める人」を限定する私たち

 伝道する前からイエス様の救いの範囲を小さく見積もっていませんか。聖書は主の名を呼び求める人を限定していません。

・パウロ自身に<ありえない>救い

 パウロこそ救われそうにない人でした。イエス様が神であることを全否定し、クリスチャンを迫害しました。こんな自分が救われたことが、どんな人にも福音は届くという確信に繋がったのです。

・私たちの人生に起きた<ありえない>救い

 イエス様は私たちの汚さ、臭さ、醜さを全部知って、それでも愛することを選ばれました。あり得ないことです。こんな私に目を留め、愛し、救いを与えてくださったイエス様の福音の力を信じるのです。

●人を遣わし福音を届けたい神様 〜いっしょにやろう〜10:14-15

・遣わす神

 神様はユダヤ人にも異邦人にも福音を語る人を遣わし続けました。神様一人ではなさらず、一緒にやろうと言われます。不器用で臆病な私たちと一緒に時間をかけて労苦し、一緒に収穫を味わう方が価値あることとされたのです。

・出て行った信仰の先輩たち

呼びかけに応答した人が起こされ、私たちにも福音が届けられました。私たちは誰が救われるか人の心の中はわかりません。わかっていることは、神様はすべての人に福音を届けたい、私たちと一緒にやりたいと思っておられることです。

●聖書が語る現実 〜福音に応答しない人もいる〜 10:16

・救われない現実がある

 伝えても響かない時、応答してくれない時、私たちはやっぱり意味がないのかとすぐ惑わされます。

●あきらめない神 〜それでも伝えたい〜 10:21

 たとえ収穫がないように思えても、信仰は聞くことからでないと始まりません(17)。だから神様はあきらめずに福音を届けるよう私たちの背中を押します。旧約聖書を見るとユダヤ人は神様に愛されても応答しませんでした。むしろ神様を裏切り、偶像礼拝をします。その時神様は驚くべき行動に出ます(19)。異邦人を救いました。妬みを起こさせてまでもユダヤ人をキリストに向かわせようとしたのです。神様のあきらめの悪さのお陰で救いは起こされました(21)。

・あきらめの悪い人たち

 油山にあきらめの悪い人がいっぱいいます。それぞれのサイズでそれぞれの応答で、あきらめず、投げ出さず、イエス様の愛を知ってほしいと願っている方がいます。

●神の心 〜一緒にやってくれてありがとう〜 10:15

・神は、神の心に応答したものを喜ばれる

神様の思いに応答したあなたの足に感動されます。「何もしてない」そんなことはないはずです。小さなこと、小さな祈りを神様は覚えておられ、美しい足だと言われます。祈っても、状況が変わらなくても神様はあなたの応答を喜ばれます。

・神は「成果」や「数字」で見ない

 神様は成果や数字で評価されません。神の言葉に応答し、立ち上がり、神の心に動かされて一歩踏み出したあなたの姿を喜んでいます。「一緒に伝道してくれたよね」と。

・神はあなたの応答がうれしい

あなたの中にいろんなもの、罪の臭いがかすかに混じっていても、神様は応答したあなたの信仰、その一歩を喜ばれるのです。

●私たちの応答 〜チームで、神の家族で出ていきたい〜

・パウロはチームで伝道した

パウロはチームで福音を伝えました。パウロも勇気を失い、心折れそうになったことがあります。そんな時、信仰の仲間に祈ってもらい、チームで取り組みました。

・神の家族で、交わりで助け合って出ていきたい

 伝道のやり方がわからない時、神の家族にシェアして祈ってもらい、助けてもらうのです。シェアされた神の家族はそのことを自分のこととして受け止め、何ができるかを考え、祈るのです。救いは間違いなく起こされています。一人一人の信仰と愛の応答が主に覚えられ、福音宣教のために用いられています。神様はコロナ禍だって救いをあきらめず、すべての人に福音を届けたいと願っておられます。私たちはこの福音の力を信じ、神様の情熱を受け取りたいと思います。そして何ができるか考え、一歩踏み出す時に主はそれを喜び、「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は」と、今日も主は喜んでくださるのです。

タグ: