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2022/3/20    「向こう岸、逆風、出会い、到着」   水谷潔師

聖書 マタイ14章22~36節

今日の聖書箇所は5千人の給食の続編、イエス様を知るための弟子限定の追試験と位置付けできるでしょう。イエス様は強制的に弟子たちだけで船出させました。

1.逆風(24)

 100%みこころに従った結果逆風が吹きました。神様は深いご計画のゆえ、み心に従う歩みの中であえて逆風を吹かせることがあるのです。アブラハムやモーセもそうでした。私たちはアブラハムやモーセの生涯を聖書で読み、不条理だけど意味と目的があることを知っています。私たちは自分の人生を最後まで読んでいないからわからないだけです。

 神様はひとり子を与えるほど私たちを愛し、実り豊かな人生を計画しておられます。愛と計画のゆえに、従う者をさらなる祝福に与らせるため、逆風を経験させられます。そのことを心に留め、コロナ禍という逆風の中にも私たちの船を進めて行きたいと思います。

2.出会い(25~33)

①水の上を歩くイエス様との出会い(25~27)

試練の中にある私たちに「しっかりしなさい」とイエス様は語りかけられます。未知の恐怖に遭遇し、恐れに支配され叫ぶ私たちに、「恐れることはない」と語りかけられます。しっかりできる根拠、恐れなくてよい理由をイエス様は示します。それはたった一言「わたしだ」です。水の上を歩き、自然界の法則さえ従える権威あるわたし、全能者、神であるわたしがいるから大丈夫だと言われます。

未知の恐怖を経験する中、恐れるか恐れないかを決めるのは、舟のサイズでも漕ぎ手のスキルでもありません。「わたしだ」と語りかける方が共におられるかどうかです。イエス様のご臨在と語りかけ、イエス様への人格的信頼こそが、信仰の本質ではないでしょうか。

②水の上を歩かせるイエス様との出会い(28-29)

 イエス様の全能の力に信頼し、イエス様だけを見つめて一歩踏み出すなら、水の上を歩くようなありえない歩みを今日も可能としてくださいます。ありえないことが起こる歩み、沈むはずが沈まない歩みを実体験することは信仰のリアリティー、み言葉の成就です。信仰生活の喜び、醍醐味と言えるのではないでしょうか。

③沈む者を引き上げるイエス様(30-32)

風を見て恐れ、沈みかけたペテロはすぐ「主よ、助けてください」と叫びます。疑いと不信仰を嘆きながらもペテロに手を伸ばし、すぐに引き上げてくださいました。イエス様は今も沈みかける私たちを、不信仰のままで、疑いと恐れを持ったままで引き上げてくださいます。船に乗ったら責めることなく、そこから共に再スタートさせてくださいます。大切なことはすぐに素直に「主よ、助けてください」と叫ぶことです。間違っても自力で何とかしようとか、申し訳ないからとイエス様の手を振りほどいてはなりません。それは私たちの不信仰や疑い、恐れ以上にイエス様を悲しませることでしょう。選んで愛している限りは決して見捨てません。不信仰で沈む者さえ引き上げてくださるこの一方的な恵みに生かされ続けたいと願うのです。

信仰告白と礼拝(33) 弟子たちは三つの出会いを通じて、イエス様を神の子であり、礼拝すべき方と知りました。み言葉に従い、み心と信じて歩む中で逆風に遭うその時こそ、そこでなければ出会うことのできないイエス様に出会うチャンスです。

3.到着(34-36)

 私たちの船旅の最終目的地はゲネサレです。そこには苦しむ人々、イエス様を必要とする人々がたくさんいます。お互いのゲネサレはどこでしょう。礼拝の場から遣わされていく地域、職場、学校、家庭です。そこいる方々にイエス様の愛のわざを行い、イエス様を証しすることが船旅の目的です。

結論

み言葉を通じて、逆風の中でイエス様に出会っていただけたと思います。私たちは、今からそれぞれのゲネサレへと遣わされて行きます。み言葉の語りかけに応答して、二千年前の弟子たちと同じように船旅をしていきましょう。

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