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2022/4/3   イエスのしるし①「カナの婚宴」  ジェシー・ローズ師

聖書 ヨハネ2章1~11節   中心 ヨハネ2章11節

イエス様の最初の奇跡、水をぶどう酒に変える奇跡に目を留めます。

1.うまくいかなかった結婚式 

ヨハネの準備や耐乏生活ははるかに良いことの備えでした。それはユダヤの結婚式から始まりました。 当時ぶどう酒が足りなくなることは新婚夫婦に恥をかかせ、社会的にも経済的にも手痛い傷として残ります。マリアがイエス様に「ぶどう酒がありません」と言ったのは小さな問題ではなかったのです。イエス様はこの求めを適切でないと思われました。まだ準備ができていないからです。それで「あなたはわたしと何の関係がありますか。わたしの時はまだ来ていません」と言われたのです。「ノー」と言っているように聞こえますが、マリアはイエス様がどういうお方であるか知っていました。マリアは確信をもって言います。「あの方が言われることは、何でもしてください」(5)。

2.古い水

 旧約聖書の律法によると、大きな水がめは婚礼の客が祝宴に入る前に手足を洗うため用意されていました。イエス様は不思議な方法で水を最高級のぶどう酒に変えました(7-10)。なぜ水がめだったのでしょうか。皮袋に水を入れてぶどう酒に変えても良かったでしょう。それは水がめにきよめの意味があったからです。自分たちの汚れが神様から引き離すものであり、常にきよめられる必要があることを思い起こさせました。しかし、かめの水は水に過ぎません。この水は外側の汚れを洗い流すことはできますが、内側の汚れを取り除くことはできません。

 かめの水をぶどう酒に変える奇跡は、単に古いシステムを取り除くだけではなく、もっと良いものに置き換えられました。

3.新しいぶどう酒

 旧約聖書においてぶどう酒は二つの意味を持ちます。苦いぶどう酒は神様の裁きや怒りが注がれることを意味します。一般的にはぶどう酒は溢れる喜びと豊かさのイメージです。古いきよめの儀式は究極のものを指す影に過ぎません。イエス様は汚れの経験の代わりに、喜びと祝福の新しいいのちに連れて行ってくださいました(ヨハネ10:10)。

 みなさんはこの新しいワインを味わいましたか。イエス様がくださった溢れる喜びのしるしが生活に現れていますか。困難や試練が来ると冷ややかで懐疑的になり、神様の愛と最善を疑い、他の空しいもので満たそうとします。私たちは喜びを期待しますが結局それは水に過ぎず、ぶどう酒ではないのです。どうすれば古い水から出て新しいぶどう酒に変わるのでしょうか。

4.真の花婿

 当時婚礼のワインを提供するのは花婿の責任でした。イエス様はワインを提供することで花婿の責任を果たしていました。

「わたしの時はまだ来ていません」(4)は、単にマリアへの応答ではなく、他のことに対して応答しています。「時」はギリシア語で「ὥραホラ」(英語では「hour」)という言葉が使われています。ヨハネ福音書において「時」は重要な鍵で、七カ所に使われています。「時」という言葉は使われるたびに、イエス様の十字架の死と栄光の時を指していました。ですから言い換えると「わたしが死ぬ時はまだ来ていません」と言っているのです。なぜ結婚式の只中でイエス様はご自分の死について考えたのでしょうか。

 イエス様はあなたがイエス様の花嫁となり、イエス様のものとなるために、どんな犠牲を払わなくてはならないかを考えていました。イエス様こそ真の花婿です。イエス様こそ新しいぶどう酒を提供された方です。旧約聖書ではメシアの到来はすべてのものの回復と結びついていました。その回復は、ぶどう酒が豊かに溢れる素晴らしい婚宴のイメージでした。世界の終わりの時には素晴らしい偉大な婚宴が用意されています(イザヤ25:6~9)。

 イエス様の働きは結婚式から始まりました。なぜなら神様の歴史は偉大な結婚式に向かって進んでいくからです。私たちはその婚宴に、喜びを経験するように招かれています。

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