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2022/6/12  イエスの7つのしるし⑤「わたしがいのちのパンです」 ジェシー・ローズ師

聖書 ヨハネ6章1~15節、25~35節   中心 ヨハネ6章35節

 ヨハネがしるしを記録している理由は情報を与えるためだけではなく、応答するように私たちを動かすためです。一つ一つのしるしは私たちへの招きです。

1.群衆の飢え

 イエス様は群衆が飢えているのを見て何とかしたいと心を動かされました。弟子の一人がお弁当を喜んでささげようとしている男の子を見つけて、少年の五つのパンと二匹の魚のお弁当をイエス様のところに持ってきました。イエス様は群衆を草の上に座らせ、パンと魚を裂いて群衆に配りました。その時驚くべきことが起こりました。何度裂いても、裂いても、パンはなくなりません。群衆は満ち足りるまでパンと魚を食べ続けることができました。

 この奇跡が起きたのは過越の祭の時でした。イエス様は新しいモーセのように行動していました。人々は勝利に導く王に飢え渇いていました。イエス様は確かにモーセのような預言者として来られたのです。人々を解放するため、神の言葉を届けるために来られました。地上に天の御国を打ち立てるために新しい王として来られました。しかし人々が求めていた王国は、神様が与えようとしておられる神の国とは違っていました。

2.私たちの心の飢え

 群衆は地上の一時的な、世的な欲求を満たす手段としてイエス様を求めていました。私たちは朽ちる食物を追い求めていないでしょうか。地上のもの、近視眼的なものへの渇望を満たすためにイエス様を求めていませんか。何があなたの心を飢えさせますか。イエス様は私たちの心を満足させると思っている朽ちる食物ではなく、本当の満足を得させるものを求めるように私たちにチャレンジしておられます。

3.いのちのパン

 「わたしがいのちのパンです」(35)と言うことにより、イエス様は二つの重要なことを主張されています。

①「わたしは・・・です」“I am” “エゴ エイミー(ギリシア語)”

ご自分が神であると主張しています。ヨハネは「わたしは・・・です」という七つの宣言も強調しています(ヨハネ8:12,10:7,9,10:11,11:25,14:6,15:1,5,6:35)。

②あなたが生きていくために欠くことのできない必要な存在だと主張しています。イエス様が人生の中心に来てくださる時、必要とするものをイエス様が満たされるのです。地上の必要だけではなく、永遠の必要を満たすお方です。イエス様が私たちの内に生み出す食べ物は決して朽ちない永遠に続く食物です。私たちはどのようにしてイエス様をいのちのパンとして体験するのでしょうか?

4.食べることへの招き

6:27 なくなってしまう食べ物のためではなく、いつまでもなくならない、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。それは、人の子が与える食べ物です。この人の子に、神である父が証印を押されたのです。」

6:28 すると、彼らはイエスに言った。「神のわざを行うためには、何をすべきでしょうか。」

 イエス様の答え(27)に人々はどのように応答したでしょう。彼らは贈り物に焦点を当てるのではなく、「神のわざを行うためには、何をすべきでしょうか」(28)、永遠のいのちを得るために何をしなければならないかを知りたがっていました。

6:29 イエスは答えられた。「神が遣わした者をあなたがたが信じること、それが神のわざです。」

6:35 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。 

 イエス様は空っぽの手で信仰によって来るように招かれます(29)。何もお返しすることができない、お腹を空かせた物乞いであることを認めることです。イエス様は私たちがイエス様のもとに来て、いのちのパンを食べるように招いておられます。私たちの人生の中心、心の中心にお迎えするように招いておられます。イエス様を心の中心にお迎えする時に、私たちの魂が本当の意味で養われ、栄養が与えられていくのです。イエス様の招きにあなたはどのように応答されますか。ありのままでイエス様のもとに来て、イエス様を受け取るように招いておられます。

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