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2022/6/26 教区一斉講壇交換 「信仰による勝利」   宇山 誉師(鳥栖曽根崎キリスト教会牧師)

聖書 Ⅰサムエル記17章31〜51節   中心 Ⅰサムエル17章47節

「この戦いはの戦いだ。主は、おまえたちをわれわれの手に渡される」

1.ピンチを主が与えられた恵みの機会として用いる信仰

 クリスチャンが問題に遭遇した時、二つの方向に分かれるのではないでしょうか。一つは、恐れと不安でいっぱいになり疑いが生まれ、神様に背を向け離れてしまう。もう一つは、試練を通してもっと神様に近づき、神様との関係が深まっていく。

教会に生じた分裂ですら神様は有益に用いられました(Ⅰコリント11:19)。問題が起きたそこにも神様は働いているのです。「私たちクリスチャンは、問題は問題ではない。課題だよ」「問題のない教会こそ問題だ」。問題はありますが、神様は問題を課題にして取り扱ってくださいます。

ダビデは狭い視野ではなく、神様とペリシテ人の戦いとして見て、この挑戦は神様のみ力を証明する絶好のチャンスだと見たのです。過去に救い出してくださった方は、新たな戦いにも必ず勝利を与えてくださるという信仰に立っているのです(37)。未来への希望は過去の出来事に基づいています。私たちは過去の歩みで失敗を経験すると、未来に対しても希望を持つことができません。

証し:幼稚園の時問題を起こした。その時父が言った言葉が忘れられない。「おまえは証しにならん」。何回も聞いた。中学の時の口癖は「どうせ俺は・・・」「親父のせいや」。18歳の時、姉から勧められた教会に行った。仲良くなった兄弟が「惨めになりたかったら人と比べたらいい」と言ってみ言葉をくれた。「わたしの目には、あなたは高価で貴い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)。私は父の評価を神様の評価と重ねて見るところがあった。私は大切な存在という所に神様の視点がある。そのように自分を見ることができるように少しずつなっていった。キャンプに参加した。悔い改め、自分の人生を神様のためにささげたいと単純に思った。「何のために生きているのか」わかった。この喜びを真っ先に父に伝えた。「神様の導き」と初めて父が認めてくれた。嬉しかった。感謝だった。

Ⅱ.使い慣れた武器で戦い抜く信仰

 私たちが神様から力をいただいて恵みを経験したいと思うなら、ありのままの自分自身でいるべきです。背伸びをする必要はないのです。

証し:最初に遣わされた教会、頑張ろうと思った。一年経たないうちに疲れてきた。胃が痛くなり、不整脈が起き、精神的にもやばい状態になった。「私の真似をしなくていい。神様はそれぞれの持ち味を生かして主の働きに用いてくださる。ありのままでいこう」、主管牧師の言葉に非常に安心した。

ダビデは戦いのために使い慣れた道具を使いました。私たちの使い慣れた道具はみ言葉と祈り(エペソ6章)です。イエス様も十字架の前にゲッセマネの祈りがありました。祈りなくして戦いはできません。み言葉と祈りです。ゴリヤテを目の当りにして恐ろしかったでしょう。でもダビデは完全な勝利を約束してくださる神によって、み名にかけて立ち向かっていきました。神様の勝利であることが、ダビデとすべての人にわかるような勝利でした。

私たちも問題や課題があるでしょう。密室の祈りによって確かなみ言葉を受け、御霊の力によって用いることが勝利の秘訣です。この勝利者なる主を崇めて愛する者とさせていただき、ここから遣わされていきたいと思います。

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