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2022/7/24  「福音の解体新書」  横田法路師

聖書 エペソ2章1~10節   中心 エペソ2章8節

1.福音とは良い知らせ(good news)であって、良いアドバイス(good advice)ではない

 福音は「私たちが」したことではなく、「神様が」してくださったことの知らせです。人生には様々な痛みがあります。痛みの根っこにあるのは罪の問題、自己中心の問題です(創世記3章)。

人生の痛みの下にある問題:罪(自己中心性)の問題→

①神と人との愛の関係が破れ、②人と人との関係も破れ、③人と自然の関係も破れた

大事なのは十字架の原則です。人間関係は横棒です。多くの人はそれだけを考え、相手の言葉や表情や態度で傷つきます。十字架の縦棒は神様と人との関係です。この縦棒が大事なのです。一時的に人から誤解されたり、拒絶されたりしても、縦の棒があれば横の棒はやがて安定し、問題を乗り越えていくことができます。縦の棒が回復し、強くなる時、横の関係も変化していくのです。

2.どのようにして神との関係の回復されるのか:全き良きお方であるイエス・キリストの十字架の死を通して

 イエス様は神様のみこころに100%従い抜かれました。サタンは誘惑や試練によってみこころから外れるように仕向けましたが、イエス様は最後までみこころに従い通されました。なぜ義なるイエス様が十字架で死ななくてはならなかったのでしょうか。私たちを神様に導くため、交わりを回復するために、正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです(Ⅰペテロ3:18)。私たちの罪に汚れたドロドロの服を、イエス様が代わりに着てくださいました。そして苦しめられ、ムチ打たれ、父なる神様に捨てられるという、まったくあり得ないような苦しみを経験されました。罪のないお方が罪とされたのは、私たちがイエス様にあって神の義となるためです(Ⅱコリント5:21)。

3.どうしたらわたしは神との関係を回復できるのか:良い行いではなく、イエス・キリストへの信仰

 もし私たちが良い人間になって救われようとするなら、それは自分が自分の救い主になろうとしているのです。聖書はハッキリと語っています。「行いによるのではありません」(エペソ2:8-9)。福音は私たちが何かをすることではなく良い知らせです。イエス様を信じる時、この救いはあなたのものとなります。あなたは神様に受け入れられ、赦され、神の子どもとなり、永遠のいのちをいただき、救いの恵みに与ったのです。私たちの喜びや平安はそこからやってきます。

 それでは良い行いは必要ないのでしょうか。私たちは良い行いをしたから救われたのではなく、良い行いのために救われました(2:10)。真の信仰は信仰だけで終わらず、良い行いを生み出します。

4.キリストを信じる信仰は、新たに良い(愛の)行いを生み出す(福音の結果)

・良い行いは、神様の恵みへの感謝から生まれてくる

 良い行いは、神を愛し、隣人を愛し、福音を伝えるという行いです。以前の動機は、恐れや不安や妬みや怒りでした。福音が生み出す新しい動機は感謝と喜びです。

・良い行い(小さな愛のわざ)は、喜びから生まれてくる

①神が喜んでくださることを知っている

②自分の知恵や能力の限界を超えて、聖霊の導きの中、聖霊の力によってなす行いである 

③神様はそれを無駄にされないで、用いてくださる(意味がある)ことを知っている(5つのパンと2匹の魚)

④これは永遠に残る価値がある(Ⅰコリント13:13)

⑤キリストのからだとして、神の家族・仲間と一緒にできる

 良い行いによって救われるのではありません。福音は私たちがどうしたかではなく、神様がしてくださったことです。良い知らせを聞いて信じる、それが信仰です。福音に与った私たちは良いわざ、感謝と喜びが動機となった愛のわざを生み出します。これが正しい福音の理解です。この福音を伝えていこうではありませんか。

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