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2022/7/31 マタイ講解説教⑤「主の栄光への用意:あなたの心を主に向けよ」

聖書 マタイ3章1~12節  中心 マタイ3章2節  横田法路師

救い主の誕生には長い準備の期間がありました。その準備のクライマックスとして、神様はバプテスマのヨハネを送られました。どのような準備をしたのでしょうか。

1.悔い改め

バプテスマのヨハネはイザヤの預言の成就として荒野に登場します(イザヤ40:3-5、マタイ3:3)。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」。罪を後悔することは悔い改めの一部です。後悔するより大事なことが二つあります。

turn around(向きを変える)+turn to(に向けてより頼む)=「罪(偶像)から向きを変え(離れ)、真の神に信頼して生きる」

ヨハネの姿は偉大な預言者エリヤを彷彿とさせます(4、Ⅱ列王1:8)。エリヤはイスラエルの民を偶像から引き戻し、悔い改めを起こさせました(Ⅰ列王18:21)。神様はメシアを送る前に、悔い改めを起こす人物としてヨハネを送ったのです(マラキ4:5-6)。偶像とは何でしょうか。異教の神々と思いやすいのですが、私たちの身の回りにある良いもの(家族、仕事、趣味・・・)も偶像になるのです。良いものをいつの間にか神様と同じくらい、場合によっては神様よりも大切なものとして愛し、慕い、信頼し、礼拝する、それが偶像です。

問題の根本は優先順位です。神様が第一である時、第二、第三の存在を感謝し、喜び楽しむことができます。良いものがあなたの偶像になっていないか、どうやって見分けるのでしょうか。神様が希望の源である時、良いものを失って失望し、倒れることがあっても、打ちのめされることはありません(Ⅱコリント4:9)。神様が第一であるから立ち上がる力が与えられているのです。

 イスラエルの民の偶像は特権意識でした。神様の祝福は贈り物です。贈り物以上に大切なのは贈り主なる神様です。贈り物が第一となると周りが気になります。自分のほうがいいと誇りや高ぶりが生まれ、周りのほうがいいと落ち込みます。神様を第一としていく生涯、これが悔い改めの生涯です。そのような心の変化が具体的な生き方の変化として現れたのが洗礼です。洗礼は罪、偶像から離れて神様を信頼して生きるという、生まれ変わった証しとしての洗礼なのです。

2.期待

 ヨハネは自分の後に来る方に目を向けさせ、期待させました(11)。洗礼を受けてもいろんな葛藤があります。イエス様は私たちの罪の代わりに十字架にかかって死なれたのみならず、聖霊を送ってくださいました。聖霊は驚くべき変化をもたらします。イエス様を信じ、聖霊に期待していこうではありませんか。聖霊は私たちに新しい生き方、生きる力を与えてくださるからです。

 一人の方を訪問した。一つのみ言葉(ローマ8:11)をいただいて一緒に祈った。祈った後にこう言われた。「自分はイエス様のことを何も知らないから知りたい。元気になって教会に行きたい」。

聖霊によって生まれ変わった人は本能的にイエス様を知りたいと求めます。聖霊がその方をつくり変え、新しく誕生させてくださるからです。私たちもイエス様に期待しようではありませんか。聖霊に期待しようではありませんか。聖霊こそ人をつくり変えることのできるお方だからです。

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