2022/8/7 イエスの7つのしるし⑦「ラザロの復活」 ジェシー・ローズ師
聖書 ヨハネ11章1~7、17~44節、12章1~7節 中心 ヨハネ11章25節
「神様は私たちの痛みや苦しみを本当に気にかけておられますか?」
1.イエスの愛ある遅延 11:5~7
6節の「しかし」は原語では「なぜなら」です。イエス様は愛していたので、来るのを遅らせたのです。ヨセフも遅延を経験しました(創世記37章~)。彼は人生の様々な場面で、神様の愛や約束やビジョンに疑問を感じたことでしょう。神様は説明されない遅延を用いてヨセフを祝福し、多くの民を祝福する手段とされたのです。
ヨハネの福音書で「栄光」は、神が私たちにご自身を現わすことを指しています(4)。神様の栄光が現されるのは神様のためではなく私たちの益のためです。ラザロの死を通して神様の愛と真の心を現わされました。イエス様の遅延はラザロと家族への最も愛ある行動だったのです。私たちも栄光を見る必要があります。
2.よみがえりといのち 11:21~26
イエス様はご自分がしようとしていることをマルタにはっきりと告げています(23)。マルタが知りたかったのは復活の希望が今、自分を助けてくれるのかということです。イエス様はマルタに言われました。希望は将来のことではなく、今あなたの前に立っています。「わたしがよみがえりです。いのちです」(25)。イエス様は「わたしは決してあなたを見放さない。あなたを捨てない」と言っているのです。
「わたしはよみがえりです」。間もなく起こる死と復活のことを指しています。数週間後、イエス様は死んでよみがえられます。イエス様のよみがえりは神の民の復活を保証します。死においても決してあなたを見捨てることはありません。「わたしはいのちです」。イエス様は私たちの人生の永遠のいのちの源です。将来の復活による救い、今の生活の変革は、イエス様を信じ、信頼する時に起きます。「わたしはよみがえりです。いのちです」。あなたの死においてわたしがあなたの希望であり、いのちであるということです。
3.死との対決 11:32~44、12:1~7
マリアも説明してほしかったのですがイエス様は直接応答されませんでした。「霊に憤りを覚え、心を騒がせ」(33)「イエスは再び心のうちに憤りを覚えながら」(38)とあります。イエス様は悲しんでいる人たちの信仰が欠けていることに怒られたのでも、ご自分が間に合わなかったことを怒ったのもありませえ。死が愛する人たちにしていることを見て怒り、涙を流されました。イエス様は死に抗い、死に囚われた人を解放するために墓に来られました。この時、敵である死と向かい合ったのです。
イエス様は死に取り巻かれたラザロを解き放たれました(39-44)。ラザロはイエス様と食事をしています(12:1-2)。マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を持って入ってきて、イエス様の足に塗り始めました(12:3)。おそらくラザロのための香油だったでしょう。おわかりでしょうか。イエス様はラザロと立場を代わられたのです。数日後、イエス様は殺され、体は布で巻かれて墓の中に置かれました。
「神様は私たちの痛みや苦しみを本当に気にかけておられますか?」
答えは十字架を見ることです。イエス様は私たちと一緒に泣かれるだけではなく、身代わりとなって救うために十字架で死んでくださいました。イエス様が十字架で経験された死と罪は、本来私たちが直面すべきものです。イエス様は十字架で、私たちが勝利することのできない死に打ち勝たれました。そして復活を通して、私たちはイエス様の勝利の恩恵を受けたのです。イエス様が贖い取ってくださったいのちを、私たちは神様の前で喜び祝うのです。「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか」(Ⅰコリント15:55)。
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