2022/8/14 マタイ講解説教⑥「喜びの理由」 横田法路師
聖書 マタイ3章13~17、9章14~17節 中心 3章17節
1.キリストが来られた目的—父なる神のみこころ(計画、約束、教え)を実現するため
私たちは神様のみこころを100%行うことはできません。イエス様は私たちの代わりにみこころを行うために来られました(5:17)。
2.神のみこころを行うための原動力
「これはわたしの愛する子」(17)。神様の愛がわかる時、神様の教えが恵みであるとわかります。神様を正しく知る時、思い煩いから自由になっていきます(6:26)。私たちは神のかたちに似せてつくられた特別な愛の対象です。天のお父さんは完全な愛のお父さんです(7:11)。神のみこころを行うために大切なことは愛がわかることです。イエス様はそのことを知り、いつも覚えて歩んでいました。
「わたしはこれを喜ぶ」(17)。イエス様がまだ公の働きをスタートする前です。成果や実績に関係なく「わたしはあなたを喜ぶ」と言われます。これがイエス様の喜びでした。このことはイエス様とヨハネの働きの違いを生み出しました(9:14-15)。イエス様の喜びが集まって来る人たちにも伝わって喜びの世界が広がっていくのです。イエス様の喜びとは父なる神様に愛されている喜びです。それは個人的な問題や環境は関係ない喜びです。イエス様の喜びが私たちの喜びとなり広がっていく、これが神の国です。
③イエス様と常に共におられて働かれる聖霊(共同体としての聖霊)
「神の御霊が鳩のようにご自分の上に降って」(16)とあります。これから始まるイエス様の働きに聖霊はあまり出て来ませんが、聖霊がおられないのではありません。いつもイエス様の上にとどまっていて、一緒に働いておられます。
イエス様の血は人をきよめ、つくり変える力があります(へブル9:14)。汚れのないきよい生涯を最後まで全うされたからです(出エジプトのきよい子羊の血)。そのために聖霊が一緒にいて守り、助けてくださいました。イエス様が昇天された時、聖霊を送るというのはものすごいことです。イエス様を支えていた聖霊が弟子たちの上に降り、信じる者の内に来てくださいました。だから私たちは敗北の生涯から、力ある勝利あるクリスチャン生活へ進むことができるのです。それは助け手なる聖霊のお陰です。
結 論
イエス様が来られた目的は神のみこころを全うするためです。イスラエルの失敗と反逆の歴史を踏み直されました。原動力は父なる神の愛と、愛されている喜びにありました。そして聖霊の助けの中にあってイエス様は生涯を全うされたのです。私たちも同じです。働きに関係なく愛され、喜ばれています。その喜びが広がっていくことが私たちの役割です。
—松本由美子師(2022年3月12日 54歳で召天)のお証しを通して恵まれました—
先生は福音の圧倒的な力を証しされました。先生に与えられている喜びは、死ですらも奪うことのできない喜びでした。それはイエス様に愛されている喜びであり、死の先にイエス様と会うことができる喜びでした。私たちがいただいている福音はこういうものです。イエス様が与えてくださる喜びはこのような喜びです。この喜びを経験するだけではなく、私たちの愛する人たちをこの喜びにお招きしたいのです。
タグ: 2022/8/14礼拝