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2022/8/21  「神のなさる美しさを信じて」  松尾献主事

聖書 伝道者の書3章1~15節   中心 伝道者の書3章11節

・美しいとは言えない現状

 神様は世界のすべてを造られ、創造のみわざの中に時間の創造もありました。この世のあらゆる営みは神様の造られた時の中で、神の許しの中で起こります。しかし、世界の出来事や自分自身の人生を見る時、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(11)とは言えないところを通ることがあります。

・美しいとは言えない始まり(創世記3章)

神様がこの世界を造られた時には痛みや悲しみはなかったことがわかります。神様は非常に良い(31)と喜ばれた世界を広げることを人と一緒にやろうと言われました(28)。しかし、人は自分のやり方でやることを選びました。それが善悪の木の実を食べた出来事です。神様があの木を置いたからだと思うかもしれませんがそうではないのです。善悪を知る木の実は、人が神様を主体的に愛する愛を育てる木になり得たのです。神様を愛するか愛さないかの選択肢が生まれ、「私は神様を愛するから実を食べない」と選択する時、人は主体的に神様を愛していくのです。

・広い視野をもって

 ソロモンは人生のあらゆる営みの中に神様の御手を見ることを教えています(1~8)。私たちは悲しみや痛みだけに心を奪われてしまうことがあります。また、私たちは歴史から学ぶことも許されています(11)。今だけではなく過去から学び、未来に対する洞察を持つことです。世界の歴史を見る時に、過去の大きな痛みや傷が新しい国の在り方を変えたり、もうあの悲惨な過去は繰り返さないように、未来の子どもたちが守られる国を考えることにもつながっていくわけです。

・人間の限界を自覚しつつ

私たちは神様の知恵を理解することはできません。神様の許された時の中で嘆いていいのです。わからないことはわからないと叫んでいいのです。神様は「わたしには計画があるから黙って信じろ」とは言われません。イエス様は私たちと同じ試練や苦しみを通られ、未だかつて誰も経験したことのない、神様から完全に切り離される絶望を通られました。弟子たちがイエス様の十字架を見て失望したように、私たちも神様をほめたたえることができないところを通るかもしれません。しかし、イエス様の復活の傷跡は、人の目には絶望と思えるところから神が素晴らしい奇跡を起こしてくださった確かなしるしなのです。神様は失望からいのちを、そして喜びを生み出されたお方です。イエス様の死こそ、私たちの救いの門でした。これは誰も考えたことも見たこともないことでした。私たちは神様のみわざを初めから終わりまで見極めることは決してできません。

・本当の「終わり」とは神の国の完成の時 黙示録21:1~4

神様が非常に良いと言われた世界はちゃんと完成します。それが黙示録の約束です。涙は主がぬぐい取ってくださいます。その時「神のなさることはすべて時にかなって美しい」と神様を崇めるようになります。これが神の約束です。完全に理解することができなくても、私たちと同じ痛みを通り、嘆きを受け止めてくださる主が今日も共におられます。失望から希望を生み出すことのできる主が今日も共におられます。そのことを仰いで、私たちはこの週も主の守りの中を活かされていきたいと思います。

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