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2022/9/11  「ここに私がおります。私を遣わしてください」  松尾献主事

イザヤ6章1~13節  中心 イザヤ6章8節

私たちはどれほど神様の思いを日々意識しているでしょうか。神様が喜ぶこと、神様の愛を伝えることを後ろに置こうとしているなら、二つの要因があると思います。

①自分自身からくる難しさ:自信のなさや苦い経験や恐れから福音を伝えることを諦めてしまう。

②周りからもたらされる難しさ:余裕のなさや周りの人の価値観に流されてしまう。

●イザヤという人物

イザヤもこの二つを持ち合わせていました(5)。自分が神様を伝えるのにふさわしくないことを自覚していました。神の前に罪人であると告白していますし、外からの影響にも揺さぶられていました。民もまた根っから罪人でした。神の言葉を聞いても悔い改めないし、何も感じません(イザヤ1~5章)。

●神

・罪を赦される神:自分にも周りにも失望しているイザヤに、神様は声をかけました(6)。セラフィムが熱々の炭をもって近づいてきました。神の赦しが詰まった炭です。それがイザヤの口に当てられました(7)。唇は心を表す場所です。私たちの心の隅々まで知ったうえで赦しを与える神様です。

・弱さに働かれる神:預言者にとって口は大事な場所です。罪の赦しと共に苦手なところにも触れてくだいました。コンプレックスは何も問題ないのです。

・遣わしてくださる神(8):自分のことを全部知ってもなお呼びかけてくださる神様、一緒にやろうと言われる神様、この神様の愛を前にして、イザヤは一歩踏み出します。「ここに私がおります。私を遣わしてください」。

・福音を伝えることをあきらめない神(9-10):民の心を肥え鈍らせ、耳を遠くし、目を固く閉ざすメッセージをしなさいと言われます。神様は人の救いを願わないのではありません。逆です。どこまでも救いをあきらめない神様の姿があります。

・語り続けることを励ます神:神の言葉はもともと受け入れるのが難しく、心を閉ざすものです。しかし、神の言葉にこそ真理があり、救いがあるのです。

●イザヤの応答

「いつまでですか」(11)。今は信じない人々にも届く日が来る、自分の人生に起きた神の愛の奇跡は仲間たちにも起こると信じたのです。私たちの頑なな心が溶かされ、罪人であることがわかり、救いを信じたことは神の恵みです。

●神様の応答 11-13

神の言葉を語っても人々は耳を傾けず、目の前の状況はどんどん悪くなっても、イザヤは神の言葉に立ち続けました。「聖なる裔」(13)はメシア預言です。イエス様を通してイザヤの預言が成就しました。私たちがみ言葉に従ったこと、祈ったこと、イエス様の愛が伝わるように生きてきたことの意味や価値、無駄だと思ったこともつないで救いを完成させてくださったと聖名を崇めるのは、私たちが天の御国に行ったその時です。

今日も神様は「だれをわたしは遣わそう。誰がわれわれのためにいくだろうか」と問いかけます。みなさんは何と答えるでしょうか。いまだに罪を持っていて悩むし、自分を通して救われる確信も持てないけど、あなたが遣わし、あなたの計画があり、事を成し遂げてくださるなら、「ここに私がおります。私を遣わしてください」、そう私たちは信仰を持って祈りたいと思うのです。

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