2022/9/18 マタイ⑧「キリストの到来―闇の中に昇る光」 横田法路師
聖書 マタイ4章12~17節 中心 マタイ4章17節
序 論
人生には「もう終わった」とピリオド(終止符)を打ちたくなる場面がある。それは神にとっては新たな展開の始まりを告げるカンマ(区切り)に過ぎない。
「この時から」(4:17)、「そのときから」(16:21)=ターニングポイント
本 論
1.神の恵みの新たなみわざは、最悪と思う時から始まる
ヨハネが理不尽な投獄をされた時でした(4:12)。私たちの人生にも最悪と思えるようなこと、予想もしないようなことが起こるでしょう。でも、最悪と思える時に主の働きは新たな展開を生み出しました。私たちがもう終わったと思う時から、神様の恵みの働きが始まっていきます。
2.神の恵みの新たなみわざは、最低と思う所から始まる
イエス様の働きはエルサレムからスタートすることを期待されていましたが、「異邦人のガリラヤ」(4:15)から始められました。ユダヤ人から蔑まれる地でした。私たちも時に蔑まれ、屈辱を受けることがあるかもしれません。あなたがどこに置かれたとしても、神様は共におられ、そこから主の働きは始まっていくのです。
3.神はキリストにあって全能かつ恵み深い王として来られる
16節はイザヤ書9章の預言の成就です。イエス様が置かれた状況は人間的に見るなら闇の中に思えます。闇の中こそ光が昇るのです。「天の御国が近づいた」(17)は神の支配が到来したことを意味します。そこに驚くべき反応が起きてくるのです(イザヤ52:7-10)。不正、恐怖、虐待、悪の支配、そこに神が戻って来られ王として支配してくださる時、平和が訪れ、喜び、正義が回復するのです。イエス様が来られ「神の国が近づいた」と宣言された時、人々は喜びました。イエス様のところに集まってきたのは、イエス様の教えや奇跡やを通して、神様が王として来られたことに気づいたからです。
自分が自分の王となって支配する時、不安や恐れ、傲慢になったり失望したりするでしょう。神様が王として治めてくださる時、真の平安、喜び、解放、自由、正義がもたらされます。そのような神のみわざはどこから始まるのでしょうか。闇と思える時、最悪と思える時、最低と思える時に主の恵みのみわざは新しく力をもって始まっていくのです。
スティーブン・オルフォード先生のお証し—
宣教師である父と一緒にアフリカで育つ。17歳の時イギリスに戻り、エンジニアの勉強をしながらバイクに関心を持つようになった。アフリカにいる時は信仰が燃えていたが、いろんなことに触れて霊的に冷えていった。バイクで大きな事故を起こした。氷が張った道路にしばらく倒れ、病院に運ばれ時にはひどい肺炎になっていた。「これ以上治療できない。長く生きても2週間」と言われ家に戻った。暗闇を経験していた時父親から手紙が届いた。彼は事故のことを何も知らなかった。「わが息子よ、人生において最も大切なことはこれだ。人生は一度きりで、すぐに過ぎ去る。しかしキリストのためにしたことだけは、永遠に残る」、この言葉が心を刺し貫いた。弱り切った体でベッドから起き、ひざまずいて神様に祈った。「神様、私の人生をあなたにすべておささげします。どうぞ癒してください。」神様は祈りを聞いてくださった。癒され、神の御手の中で力強く用いられ、80歳を超えるまで主の働きを担った。
私たちの人生でも最悪と思う時、最低と思うところ、暗闇の中を通ることがあります。その時こそ神様に出会う時、みこころを聞き、変えられていく人生のターニングポイントとなる時なのです。
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