2023/11/12礼拝メッセージ 「一筋の光を探して~願いを聞かれるお方」 加藤郁生師
聖書 マルコによる福音書5章25~34節
一人の女性が出てきます。深刻な病があり、絶望という言葉以外にない状況でした(26)。彼女は望みを捨てませんでした。
「一筋の光を探して歩む」(渡辺和子師)。私たちはいろいろ深刻な悩みを抱え、世界が真っ暗闇に思える時でも、一筋の光を探しながら生きていかなければなりません。神様は必ず逃れの道、助けの道、救いの道を備えてくださいます。彼女にとっての「一筋の光」イエス様でした。
長血は律法的に言えば汚れているので、堂々とイエス様に触れることはできませんが、“衣の裾には触れるんじゃないか”と思いました。「それは、せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろうと、思っていたからである」(口語訳5:28)。「せめて」という言葉には、一筋の光を探してイエス様のところに歩む信仰の思いが凝縮されています。
私たちも「せめて」という信仰を持つことが大切です。それは消極的な信仰ではありません。自分の状況に絶望するのではなく、そこで神様に目を向け、信頼し、望みを置き、近づき、神様に解決を求める強い信仰の現れです。
信仰の行為の結果、願いは答えられました(29)。気づかれたイエス様に真実をすべて話しました(30-33)。イエス様は彼女を祝福して送り出してくださいました(34)。飛び上がるほどのうれしさではなかったでしょうか。感謝の思いが溢れていたでしょう。イエス様のところに行き、触れ、癒され、それだけでなく温かい祝福の言葉さえいただくことができたのです。
「神は信じる者を拒まない」(渡辺和子師)。神様は信じる私たちを拒むことはありません。“そうは言ってもこれだけ罪を犯し、愚かで弱い。そんな私が神様に求める資格はない”。いいえ、神様はあなたが信じてイエス様のところに行くなら、そして衣の裾に触れるならば、あなたを拒むことはありません。長血の女がイエス様に触れた時、イエス様のうちから力が出ていったとも書かれています(30)。聖書学者N.T.ライトは「その力とは愛の力である」と言っています。愛の力が出ていって癒されたのです。神は愛です。愛なる神様は信じる者を拒むことはありません。
いかがでしょう。今みなさんにとってチャレンジなことがおありでしょうか。そのことに対し失望し、あきらめるでしょうか。それともあきらめずに、「せめて、み衣にでも」という信仰を持ってイエス様のもとに行かれるでしょうか。そして生ける神様を体験されるでしょうか。救いの体験、癒しの体験をされるでしょうか。私たちがイエス様のみ衣に触れるならば、神様は私たちのその信仰に答えてくださいます。神は信じる者を拒まないお方です。