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2022/12/4  「父のために働く」  ローレンス・チュア師

聖書 ルカ15章1~3、11~32節

 油山シャローム教会のビジネスは神の御国のビジネスです。霊的な家族であり、父親は神様です。牧師だけでなく、みなさんは父なる神様のために召されています。この朝、神様に仕える素晴らしい態度と、どうしたら良い結果を生み出すかについて見たいと思います。イエス様の生き方こそが父なる神様に仕える良いモデルです。イエス様は息子として仕えることと雇人として仕えることの違いを明らかにされました。放蕩息子の例えから大切なことを学びたいと思います。息子は父親にうまく仕えることができませんでした。

(a) 自分をしもべとして見ることができない

 息子として貰うのは当たり前、父親は与えるべき存在と見ていました。しもべとして仕えることが完全に抜け落ちています。今日のクリスチャンも神様の愛と恵みは信じますが、仕えることや与えることをしようとしません。神の息子であることは信じていますが、神のしもべであることは信じていません。特権については考えますが、責任について考えません。神様の養子として迎えられたという信仰は貴重です。私たちは神様の目には大切な息子であり娘です。その信仰としもべとしての義務感はバランスが取れていなければなりません。イエス様は「『私たちは取るに足りないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい」と言われました(ルカ17:10)。

(b) 父親に上司が見えない

 父の下で働いて報いを得るように意図しておられたのに、息子は理解できませんでした。彼は生活の糧を与え、遺産を与えるだけの存在として父を見ていました。敬意をもって仕える上司ではなく、お金を引き出すだけのATMのような存在として見ていました。今日のクリスチャンが神様に仕えないのは、仕えるにふさわしい上司として見ていないからです。いつでも何でも引き出す存在として見ています。「日ごとの糧を、毎日お与えください」(ルカ11:3)ばかりで、「行って弟子としなさい」(マタイ28:19)の命令を聞いていないのです。

(c) 報いを待つことができない

 彼は農場で働いていました。時間と労力を費やすことで報いを得ることを知っていたはずです。遺産は父親が亡くなってからもらえますが、彼はそれを待つことができませんでした。働き続けるのに耐えられず、遺産の分け前をもらって家を出ました。多くのクリスチャンは神様が約束された将来の報いに無関心です。来たるべき報いへの投資を拒絶します。将来の報いの約束を知っていますし、信じていますが、関心がないのです。将来の報いより、現在楽しんで生きることに関心があります。

 ルカ12:15~21に愚かな金持ちの話があります。神様は「あなたがたは御国を求めなさい。そうすれば、これらのものはそれに加えて与えられます」(31)と言われました。天の宝は盗人が近寄ることも、虫が食い荒らすこともありません(33)。天の報いに関心を持たないのは間違いです。天の報いを信じて、今投資していくことが大切です。

(d) 厳格さに耐えられない

 息子は農場で喜んで働くことをせず、出て行っても働きません。家で父親に仕えなかった息子は、出て行っても他の人のために働くことができません。父親が彼に与えた素晴らしい資源を無駄にしているのです。今日のクリスチャンは訓練や鍛錬が苦手で、忠実に勤勉に仕えることが苦手です。神様に仕える上で辛いことがあると、労苦できずに不便さを受け入れません。

弟息子を見ながら、自分自身の歩み、生き方を考えたいと思います。あなたが父である神様にお仕えする態度はどういうものでしょうか。喜んで仕えているでしょうか。辛いことがあると逃げようとするでしょうか。

結 論

 イエス様は私たちが神様に仕えるためのモデルを示してくださっています。イエス様は神の御子ですが、全き従順をもって仕えられました。イエス様はチャレンジしてくださっています。「父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします」(ヨハネ20:21)。今日、私たちは神の息子でありしもべであることを喜ぶ時であり、反省する時です。神様を愛する愛を確認すると共に、神様に仕える者として召されていることを再確認したいのです。

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