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2023/1/15  「感謝する者とされた恵」  松尾献主事

聖書 詩篇103篇1~5節   中心 詩篇103篇1節

●神の恵みを数えることを難しくするもの

忙しさによって「主が良くしてくださったこと」を思い巡らし、立ち止まって数えるのが難しくなりました。「忘れるな」(2)は、心が高ぶり、神様がくださっているものを当たり前だと思う状態も指します。私たちは自分中心に理想を持ち、神様に対してさえ台本を持ちます。聖書はそれを偶像礼拝と言います。偶像礼拝こそ私たちから神様への感謝を奪うのです。

 罪はこの世界に悲しみを生み出しました。私たち全員が罪を犯し、罪がもたらす痛みと傷の中で、その傷にだけ心を奪われ、いつの間にか神様が良くしてくださっている恵みが見えなくなっています。

「わがたましいよ 主をほめたたえよ」(1)。全身全霊で神様をほめたたえることへと私たちを招きます。

●恵みを数えるように招く理由

 「病」「咎」(3)「贖われる」(4)は救いに関する言葉です。イエス様はあなたの罪を十字架上で全部赦してくださいました。自分の台本を破り捨て、神様に人生の台本をお任せする人生が始まったのです。イエス様に出会う前の罪の生活に戻りそうになっても、聖霊なる神が罪の穴からいつも助け出してくれます。あなたは神の子とされて、神様の特別な恵みと憐れみの中に生かされている。一つの悲しみで感謝が霞むような生き方しなくていい。むしろ悲しみや痛みがあったとしても、そこにある神の確かな恵みを数えることができる者とされた。

 学生との年末合宿、全力で説教の準備をし、全力で語った。学生の顔は非常に眠そうだった。私は落ち込んで一人で山に登った。メッセージが届かなかったことをいろいろ良いように解釈しようとした。でも、全然感謝できなかった。ふと思った。“神様はぼくをキリストの似姿に変えようとされているんじゃないか。”「神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです」(ローマ8:28-29)。神様の計画は私たちがイエス様のようになること、愛の人格に変えることだと分かった時、私はストンと落ちた気がした。私は恵みのピントがずれていた。良い説教者になることばかり考えていた。しかし、み言葉のメガネをかける時、何が本当の恵みであるか思い起こした。新しい朝を始める時、み言葉をもって始めることの大切さを改めて知った。み言葉こそが恵みのピントを合わせてくれる。このことが分かった時、私にとっての大きな敗北も感謝なのかもしれないと受け取ることができた。

感謝できない時はそのまま嘆いていいと思います。ダビデは他の箇所では嘆きまくっています。しかし、ダビデの嘆きは主の優しさや愛を知った上での嘆きです。父の腕に抱かれて泣きじゃくるのに似ています。神様の前に心を注ぎ出して嘆くことも、主が本当に良いお方で受け止めてくださることを知っている人だけができるのです。今は嘆くことしかできなくても、感謝だと言えない悲しみがあっても、主の恵みと憐みはあなたの人生を覆ってくださいます。そしていつか「あなたは本当に素晴らしいお方です」と心の底から言える日が来ます。主の恵みと憐みの中に私たちは日々置かれ、これからも主によって導かれている、そのことを私たちは今日心にとどめ、この新しい年も主に信頼して歩んでいきたいと思います。

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