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2023/5/21 「走り寄る神の愛」ルカ15章11~32節  加藤郁生師

イエス様は放蕩息子の話を通して、神様と人間の関係について話されました。

①神様から離れた人間の不幸な姿が描かれています。
 弟は父親が生きている間に財産を分けてもらい、自由になれると家を飛び出しました。最初は良かったのですが、お金を使い果たし、飢饉で食べるのにも事欠き、知り合いのもとで豚を飼い、餌さえ食べたい窮状となりました。
人は神様から離れて背を向け、自分勝手な生き方をする時、結果として、残念ながら貧しく、不幸になると言われているのです。豊かな境遇にあっても、神様から離れるなら、貧しくむなしくなり、飢え乾いてしまいます。

②神様はそのような人間がご自身のもとに帰ってくることを待っておられます。
 息子は、どの面下げて帰れるのか、雇人の一人にでもしてもらおうと決心します。ところが父は、「まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした」(20)。偶然ではありません。父はいつも息子が帰って来るのではと、目を凝らして見渡していました。大切な存在を待ちわびていたのです。帰ってきてほしいという一心で。
 神様は放蕩息子を待つようにあなたを待っておられます。これまで神様を知らなかったとしても、知っていて離れていたとしても、神様から離れ、罪によって惨めに苦しんでいるあなたを待っておられるのです。待つだけではなく、走り寄って抱き、口づけをしてくださるお方です。

③神様は失われた私たちが見出されることを喜んでくださり、私たちを神の子として扱ってくださいます。
喜んで神の御国を建設する働きを一緒にしてくださるお方です。出ていった息子が帰ってきた嬉しさは何にも代えがたいものでした(21-23)。帰りを待ちわび、帰ったら息子として扱いたかったのです。この父親の気持ちこそ、神様が私たちに持っておられる心です。

結 論
安心して神様のもとに立ち帰り、神の子として歩みましょう。
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(Ⅰヨハネ4:10)。
 私たちが罪のために永遠に神様から離れてしまうことがないように、神様は身代わりとして罪の罰を受けるためにキリストをこの世に送ってくださいました。キリストは十字架につけられ、死んでよみがえられました。ここに神様の愛があります。それは、私たちを求めて走り寄り、喜びをもって私たちを受け止め、共に歩んでくださる父なる神様の愛です。キリストを私たちが信じるなら、神様のもとに安心して帰ることができ、神の子としての人生を歩むことができるのです。


 私たちは神様に招かれています。安心して神様のもとに立ち帰っていこうではありませんか。神様のもとにある人は、少しでも多くの方が共に神様のもとに帰れるように、これからも愛のわざをもって励んでいこうではありませんか。

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